二人にまつわる彼らの小話
 
「榎さん・・・」
「何だ」
 
 座敷の主はまるで腹が痛いのを我慢しているような、彼にしては珍妙な種類の仏頂面を見せていた。対して声をかけられた榎木津は、極めて不機嫌そうな顰め面だが、それがどこかわざとらしい。
 京極堂は榎木津を横目で一瞥すると、鼻でため息をついた。
「ああもあからさまだと、こっちが照れるよ」
「・・・知るか馬鹿」
 榎木津はまだ何か言いたいようだったが、言葉が見つからなかったのか開けた口をまた閉じて、そのままひっくり返った。昼寝をするつもりらしい。
 非常識で傍若無人の探偵の考えることなど、対人恐怖で鬱病持ちの私にわかるはずもない。しかし、何故だか付き合いだけはやけに長いので―――彼が(信じがたいことだが)どうも照れているということは、わかった。
 恐ろしい光景に呆然としていると、襖がすっと開く。
 茶を乗せた盆を持ってやってきたのは、渦中の女性。
「あっ、もう寝てる!」
美由紀は座敷に入るなり、呆れ顔で榎木津を見下ろした。それから己の恋人を躊躇いなく見限り、卓袱台に茶を並べる。爽やかな微笑みと共に茶を差し出された時、私は思わず身体を引いた。
「どうしました?関口先生。私、怖い顔していました?」
 不思議そうに首を傾げる美由紀の仕草は、数ヶ月前と変わらず清々しい。しかし、頬や首筋の皮膚は、かつてはなかった匂い立つような白さをまとっていて―――
 私は、それを言葉にすることを恥じた。
 京極堂が、呆れているのか馬鹿にしたのか判然としない音で、ふんと息を吐いた。
「違うよ美由紀君。この関口センセイは特別に無粋な男でね。雪絵さん以外の美しい女性を前にすると、こうして固まってしまう」
「…はあ。それは失礼しました」
 意味がわかっているのかいないのか、その屈託のない受け答えの仕方は、少女の頃とまるで変わらない。変わらないのに――。
 私は頬がやけに熱いのを感じながら、香り高くはいった茶を啜った。
 
「本当に、男の方って仕方ありませんね」
 千鶴子は可笑しくてたまらないらしく、目の縁には涙まで湛えている。
 竜巻のように騒々しい男とその可憐な恋人が去った後の座敷では、私と私の妻、旧友(?)とその細君が腰を落ち着けていた。
「何がだい」
「だって、美由紀ちゃんがお座敷に入った瞬間、あなたも関口さんも目を丸くして、ぽかんって顔をするんですもの。雪絵さんと二人して笑ってしまいました」
 思い出したことでまた可笑しさが増したらしく、千鶴子はまたころころと笑って、横に座る雪絵と顔を見合わせた。雪絵もまた釣られて、くすくすと笑う。
「私も吃驚しましたわ。数ヶ月会わない間に、あんなに綺麗になるなんて」
気まずいのは彼女達の夫ばかりである。京極堂は何か言い返したそうな顔をしていたが、どう答えていいものかわからなかったのだろう。うんと言っただけで茶を飲んだ。
 美由紀は今年学校を卒業し、すぐに就職したと聞いていた。とは言え、まだ未成年である。あのくらいの年齢なら、男女関係なく成長はするだろう。多少女性らしくなるのは自然だ。しかし、美由紀はここ数ヶ月の間に、成長という表現で片付くのか悩む種類の「成長」をしたように見えた。
 もちろん、顔かたちがそう変わるわけもない。体格だってそうそう変わらないのだが。
 
「一皮剥けたというんじゃないなあ」
 何か、ううん、纏った、というか。
 
 私は口にしてみてから、何故だか酷く照れ臭くなった。これは美由紀に対して恥じているというより、自分ごときが女性について語るのに気が引けるし、そして何より――古くからよく知る男の、あまり知りたくないところに踏み込む話題のような気がして、やはり気が引けるのだ。
 京極堂は珍しくきちんと私に目を向け、「珍しく捻ったことを言うじゃないか」と言ってにやりと笑った。からかうつもりはないらしい。
 千鶴子は目の端を指先で拭うと、やんわりと微笑んで言った。
「榎木津さんも、罪な方ですねえ」
 途端に、京極堂は眉間の皺を数ミリ深くし、私は視野が暗くなるのを感じながら、空中を仰いだ。